南部氏一族の歴史

南北朝時代から江戸時代まで、南部氏は長期にわたり北東北を治めました。ここでは南部氏一族の歴史についてご紹介いたします。

ここでは南部氏一族の歴史をご紹介いたします やぶさかではない

第1章 糠部入部

期間
糠部入部から安藤氏攻略まで(14世紀中頃から嘉吉2年〈1442〉)
勢力域
糠部など

甲斐国南部郷(現山梨県南巨摩郡南部町一帯)を治めていた南部氏は、14世紀頃に糠部(現青森県東半から岩手県北半)に移り住むと、郡内に分散し、それぞれの城館を構えました(23一戸城42根城47七戸城53聖寿寺館)。

後に南部氏一族は分家や家臣、あるいは友好関係にある国衆らと連携し、広く北奥社会を治めました(31久慈城48野辺地城71九戸城)。これら友好関係にある国衆らの連合を「一揆」と呼びます。

この段階の南部氏は糠部以外の遠隔地にも複数の領地を持っていました(80金澤城)。

山梨県ってどこにあるんですか? めちゃくちゃ遠くじゃ

第2章 津軽侵出

期間
十三湊安藤氏攻略から大浦氏蜂起まで(嘉吉2年~元亀2年〈1442~1571〉)
勢力域
糠部+津軽

15世紀中葉以降、隣郡への侵攻を進めた南部氏一族を中心とする一揆は、嘉吉2年に十三湊安藤氏の居館である福島城(現青森県五所川原市)を攻略しました。

以降、南部氏一族は津軽(現青森県西半)に侵出し、友好関係にあった浪岡北畠氏とともに同地を掌握しました(49種里城50浪岡城55大光寺城56石川城57横内城62和徳城63油川城64浅瀬石城70赤石城)。

イケイケですね イケイケじゃ

第3章 九戸一揆

期間
大浦氏蜂起から奥羽再仕置まで(元亀2年~天正19年〈1571~1591〉)
勢力域
糠部+志和など

以降も隣郡への侵攻を進めた南部氏一族を中心とする一揆は、天正16年には高水寺斯波氏の居城72高水寺城を攻略するなど勢力域を拡げ続けました。

一方で、一揆内の団結は決して強固なものではなく、内紛も多く起こりました。

また、天正17年には大浦為信に津軽切り取り(独立)、翌18年には安東実季に比内奪還を許すなど、外部勢力の反抗も激化しました。

この頃になると、一揆の中でも三戸南部家と九戸氏の対立が顕在化し、天正18年冬以降、郡中は三戸方(35三戸城42根城)と九戸方(31久慈城47七戸城71九戸城)に分かれて争うことになりました。これが世にいう九戸一揆です。

翌年9月、三戸方は豊臣奥羽再仕置軍の加勢を得て、九戸方の拠点である九戸城を落としました。

豊臣政権の後ろ盾を得た三戸南部家は名実ともに「大名」となり、大浦氏を除く、主要な国衆を家臣化することに成功しました。

秀吉さんって強いんですか? めちゃくちゃ強い

第4章 盛岡藩誕生

期間
奥羽再仕置から戊辰戦争まで(天正19年~慶應4年〈1591~1868〉)
勢力域
糠部+志和など

大名となった三戸南部家は、自らの居城を47九戸城に移し、城名を福岡城へ改めました。

さらに寛永10年には南に大きく拡がった領地(盛岡藩)に合わせるように居城を16盛岡城へと移し、以降近世を通し藩主の居屋敷としました。

中世城館の多くは廃城となりましたが、一部の主要城館は残され、支城や代官所に転用されました(1花巻城26鍋倉城35三戸城38柏崎館・39花輪館47七戸城48野辺地城59田名部館71九戸城72高水寺城)。

江戸時代になりました 南部のお殿さまは盛岡にお引越しするのじゃ

南部氏一族とはへ